知っておきたいバリ島情報
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ウルワトゥ
バリ島南部の半島にあるウルワトゥ寺院(ウルワツ寺院)は海から70メートルの高さの断崖の先端に「海の精霊」を奉る目的で建てられたと素晴らしい眺めの寺院です。9世紀に建てられた説と15世紀に建てられた説とがあります。
境内には猿が生息しており、時々観光客の物を盗ったりしますので、要注意!!
外国為替の公式な首都は現在でも南京市と規定されている。中華民国憲法に基づいた中華民国政府が1948年に発足した際、中華民国の公式な首都は名実ともに南京であったが、当時激しさを増していた国共内戦において国民党軍はソビエト連邦の全面的な支援を得た中国人民解放軍(中共軍)に相次いで敗北し、1949年4月には首都・南京を人民軍に奪取され、中華民国政府は首都移転を余儀なくされ、広州、重慶、成都を経て1949年12月7日に台北に首都を移した。
遷台当初、中華民国政府は「全中国を代表する国家」という立場から台北遷都を一時的なものとし、「大陸反攻」(武力による大陸部の奪還)後に再び首都を南京に戻すつもりであった。この理由により公式な首都は南京のままとされ、台北は臨時首都という扱いとなった。しかし第二次世界大戦後の冷戦体制が確立されると、両岸関係の劇的な変化を回避することを望む国際環境下で「大陸反攻」が絶望的になり、また1971年に中国代表権問題の結果国際連合における代表権を喪失した後は、中華人民共和国を「全中国を代表する国家」として政府承認する方針が国際主流となり、中華民国は国際政治環境で孤立化してくこととなった。この状況下でも中華民国政府は「全中国を代表する国家」という立場を今日まで固持し続けており、そのために事実上の首都である台北の扱いも臨時首都のままとなっている。
外為を反映し中華民国の小中学生向けの国定教科書でも南京を首都とした記載が続けられてきたが、台湾独自路線を追求する民意の高まりとその結果の民主進歩党政権の誕生の結果の一つとして2003年版教科書からは台北を首都とする記述が登場し、教科書における状況変化が見られる。しかし「首都・台北」と表記した場合、台湾独立政策の体現とし中華人民共和国との軋轢が生じる可能性を考慮され、教科書では「中央政府は台北にある」という間接的な表現をしている。
中華人民共和国やベトナム、シンガポールなど、周辺には未だに実質的な一党独裁制を敷き、言論の自由が極度に制限されている国家が多いが、中華民国においては李登輝元総統の就任後の1980年代後半より日本や大韓民国などと同様の議会制民主主義が施行され、現在は複数の政党が存在し、市町村の議会議員に至るまでが自由選挙によって選出されている。また、国民の結党や言論、宗教、思想などの自由は完全に保障されており、各種マスコミやインターネットなどを通じた様々な政治的な活動が自由に行われている。
カイロ会談に列席した蒋介石(左)。中央はフランクリン・D・ルーズベルト、右はウィンストン・チャーチルまた、中華民国の政治において特筆すべきことは、中華民国政府が中華人民共和国の中国共産党政府と同時に自らを「『中国』の正統な政府」であるとしている点である。これは、歴代の中華民国政府が、蒋介石率いる中国国民党が中国大陸を統治していた1947年に施行した『中華民国憲法』に基づいて政府を樹立していることに由来しており、1949年の毛沢東率いる中国共産党による、北京をその首都とする中華人民共和国設立は「反乱団体による非合法行為」としてきた。
FXの主張は、中華民国が連合国の主な一員として参戦した第二次世界大戦前から国際的に受け入れられており、その結果、第二次世界大戦の戦勝国としての立場は中華民国政府にあった。また、当然ながら1945年10月の国際連合設立時とそれ以降における「中国」の代表権も中華民国政府にあった。しかし、1949年の中華人民共和国の設立以降も、香港問題を抱え中華人民共和国に対して政治的配慮を必要としていたイギリスを除く殆どの西側諸国が中華民国政府を「『中国』の正統な政府」として認めていたものの、第二次世界大戦以降の冷戦下におけるアメリカとソビエト連邦を中心とした東西両陣営の政治的駆け引きの中、1971年に国際連合で中国共産党率いる中華人民共和国が承認され、中華民国政府が国際連合から脱退してからは、日本やアメリカをはじめとする西側諸国においても中華民国政府を「『中国』の正統な政府」として承認する政府が減少した。現在ではバチカンやパラグアイ、ブルキナファソなど、23カ国のみが承認しているという状況であるが、日本やアメリカ、フランスなどを始めとする多くの国々とも「弁事処」と称される利益代表部を置く。
李登輝総統(任期:1988年〜2000年)時代に入り、中華民国政府は中華人民共和国の存在を「反乱団体による非合法行為」と規定しなくなったが、今でも「『中国』の正統な政府」という主張は変えていない。その為、現在の中華民国国内では、「『中国』の正統な政府」であることを止め、現在の実効支配区域のみを統治する政府として国家を再編することで、中華民国の新たな国際社会復帰を模索する動きも活発化している。2005年8月1日には、陳水扁総統が「中華民国は台湾」と語っており、中華民国の国家としての定義は国内において二分している状況である。
さらには、近年では、中国大陸と台湾地域を統治する事を前提とした現在の中華民国の国家体制から脱却し、台湾地域のみの統治を前提とした国家を創出する台湾独立運動(台独運動、または台独)も活発化しており、そのことが問題をより複雑化している。もっとも、台湾地域においては、この問題に関する様々な意見が存在しているものの、少なくとも台湾地域の主権帰属が中華人民共和国に属するものではないという点では世論の大勢が一致している。そのため、中華民国の立法府たる立法院の議員は、主に「台湾の主権帰属は中華民国に属する」とする泛藍連盟派と、「台湾の主権帰属は中国の国家には属さない」とする泛緑連盟派(台独派)のいずれかに大別される。
ただし、世論調査では、早急な統一も台独も望んでおらず、実質的に共産主義政党の中国共産党による一党独裁国家であり、言論や思想、宗教選択の自由すら許されていない中華人民共和国と完全に分離して、議会制民主主義体制が堅持されている現在の状態を維持することを望む声が多い。そのため、中華民国の世論は基本的には現状での安定志向にあると言え、各党も世論を配慮しながら政治活動を行なっている。
また、日本やアメリカ、イギリスなどの中華人民共和国と国交を持つ旧西側諸国の政府も、正式には中華人民共和国の唱える「一つの中国」政策を支持しているものの、議会制民主主義体制を維持することを望む中華民国の国民の意向を尊重することと、中国共産党の一党独裁国家であり、言論の自由が極度に制限されている中華人民共和国によるアジアにおける軍事的覇権を牽制する意味からも、現在の状態の維持を事実上支持している。
台南サイエンスパーク1912年の中華民国成立当初は経済状況は、清朝の対外賠償金を継承し、また鉄道や税関などの収入源を賠償金の担保として列強の支配下に置かれていたため危機的な状況にあった。
また建国当初の政争に加え、中国共産党との対立、更には日中戦争と国内での混乱が続いたことで更に経済状況が悪化し、物資が軍需用として優先使用され、その物資の輸送も限定された交通手段に頼っており国民経済は困窮を極めた。
日本の敗戦後は特に満州及び台湾地区では日本が残した資産を活用した工業化などによる経済建設を計画したが、まもなく開始された国共内戦により経済政策の実施は頓挫、また中国国民党が行った紙幣の乱発による急激なインフレなどで台湾地域の国民経済は崩壊の淵に立たされることとなた。